牛田尊さんは20年前の万博会場で心停止から一命を取り留めました。現在は「完全社会復帰」されています。当時いったい何があったのでしょうか。 「私は万博会場で心停止になりました。たまたま居合わせた大学生4人にAEDを使って救命していただきました。これからお話しすることは、もう20年前の私の体験談です」と、牛田さんは語り始めました。 「私は設計業務の仕事をしているのですが、1970年に開催された大阪での万博が大好きだったこともあり、2005年に地元の愛知県で行われる万博にぜひ携わりたいという強い思いがあり、建築設計に参加しました。 ものすごく忙しい日々でしたが、必ずやり遂げたいという思いでした。設計業務の合間にどうしても眠気に耐えられなくなったら、事務所内の床で30分仮眠…。そんな生活を2年間続けていました」と振り返ります。 今では敬遠されてしまう働き方ですが、牛田さんにとっては心から待ち望んでいた夢の実現に向けた充実した日々でした。もちろん、このときは、まさか自分が心停止になるなんて想像すらしていませんでした。 「それまで一度も心臓が痛いとか苦しいなどという自覚症状はありませんでした。事実、心臓が悪いと診断されたこともありませんでしたし、きっと周りの人からも『仕事好きで身体が丈夫な人』と見られていたことでしょう」と語る牛田さん。 2005年3月25日、無事に万博は開幕を迎えました。 そして牛田さんが倒れた6月1日。その日、牛田さんは仕事関係者と万博会場を見に行く予定でした。当日のことを、牛田さんに聞きました。 「私たちはお目当てのパビリオンの整理券をもらうため入場ゲートに並ぶ予定でした。早めに到着していたので立ち話をしているなか、いきなり心停止になりました。 あとから聞いた話によると、私は直立不動の状態で前方に倒れたそうですが、同行者にもたれかかるように倒れたために大した怪我はありませんでした。当時の記事にあった、開場ダッシュではありません」
「今から、実際に私が生還するまでのお話しをします。もう20年も前のことですが、このお話をすると、いまだに泣けてきます」と、牛田さんは目に涙を浮かべながらお話を続けてくれました。 牛田さん自身が倒れたわけなので、倒れている間の記憶はほとんどなく、かすかな記憶は、倒れた直後に耳に残った周囲のざわめく音だけでした。牛田さんは、自分の身に起こった出来事を詳細に知りたいと、復帰後に自分を助けてくれたすべての方々に会いに行き、お礼を伝えお話を聞く機会をつくったそうです。 それらの話をつなぎ合わせて、牛田さんは自身が倒れたその時の状況、周りの方々の思考と行動を明らかにしていきました。 「私を救ってくれた大学生達は、実は医学部生で、たまたまその日万博に遊びに来ていたそうです。私の異変に気付いて駆け寄ってきてくれて、すぐに『AEDを持ってきてください』と叫んだそうですが、私が倒れたのを見た警備員さんがすでにAEDを取りに走り出していたそうです。 そして、心停止からAEDによる蘇生まで約4分。幸いなことに 1回の電気ショックで私の心臓は動き出しました。その後、会場に常駐していたボランティアの救急医と救急救命士が駆けつけ、すぐに気道を確保するために管を入れる気管挿管が行われました。その後、近隣病院からドクターヘリで救急の先生も駆けつけ、救急車で病院へ搬送されました」 AEDによる電気的除細動を含む救命処置の後、牛田さんは救急車の中で意識を取り戻します。牛田さんは息苦しさを覚えて、気管に挿入された管を自ら抜こうと手を動かしました。それを見た医師は、意識を取り戻したばかりの牛田さんに語りかけました。 「牛田さん、大丈夫です、助かりますよ。今から病院へ搬送します、安心してくださいね。」 しかし、その次に発せられた言葉が、牛田さんを大きな不安に陥れることになります。 「心臓止まりましたけど、もう大丈夫ですからね」 心臓が止まったということが何を意味するのか。 牛田さんは、搬送され身動きできないなか、瞬時に恐怖を覚えました。 「心臓が止まったということは、俺、寝たきりになるんじゃない?まだ小さい子供の教育はどうする?親の面倒は誰が?」 脳梗塞を患い左半身麻痺で介護を受けている牛田さんの実父の姿が、これからの自分の姿に置き換わり、明確に想像できました。 「もしそのまま心臓が止まっていたら、住宅ローンも残らないし、残された家族に生命保険も入る。ならば、いっそのこと…」とも考えたそうです。 「私は恐る恐る自分の手や膝を動かして身体の無事を確認しました。動く。 暗算を試しましたが、問題なし。 多分大丈夫だな。さっきは殺してくれなんてバカなことを思ったけど…」 そんな思いだったと振り返ります。もちろんご家族の思いは違います。 「お父さんの命だけでも救ってほしい」と強く強く願っていました。 病院に到着するとすぐに、血管にカテーテルと呼ばれる細い管を挿入して、心臓の血管の状態を調べる検査が行われました。急性心筋梗塞を疑っていましたが「血管はどこも詰まってない」という検査結果に医師たちは驚いたそうです。 心停止の原因を突き止めるべく検査をしたところ、異型狭心症※という心臓の血管が痙攣して一時的に血管が狭くなる病気であることがわかりました。しかし、牛田さんは狭心症の実感がありません。というのも、心臓が苦しくなったり、痛くなったりすることがいまだにないからです。
牛田さんが退院した1か月後。あの日、AEDを使って助けてくれた医学生たちに直接お礼を伝えました。万博会場に常駐していた医療従事者や、救急車で搬送した消防職員、病院の集中治療室の看護師や医師の皆様にもお礼を伝えに行きました。 対象の方々は皆、救命救急に関わるお仕事に携わっている方々で、生死に関わるさまざまな出来事が繰り返し起こる現場で、日々忙しくされていることは容易に想像できたので、ほんの少しの時間だけでもよいと思っていました。しかし、「想像していた医療現場とはまったく異なる一面を目の当たりにして、とても嬉しかった」と牛田さんは言います。 「きっと普段の業務の中では、絶対に涙することなんてないであろう看護師さんが、私がお礼に行ったら一緒に涙を流してくれました。救急の先生は、常日頃から人を助けているのに、ものすごく喜んで私のところに来てくれました。救急車に同乗してくれた先生は『僕だよ、一緒に乗ったの!』と、高揚した声で無事を喜んでくれました」と、微笑みます。 そして、万博会場には、ボランティアで活動されている医療従事者、消防職員がいました。牛田さんは、自分が知らなかった『安全・命を守る活動』に改めて感謝しました。 さらに、「絶対に忘れてはならないことは、万博会場に103台のAED設置と救急医療体制を構築された方々、またそれに賛同して活動されていた方々のご尽力があったことです」と、牛田さんは力を込めます。 「私は救命医療や消防の方々と一緒に、何かできることがないかと探した結果、一般市民としてできることは、自分の体験談を伝え、AEDを意識してもらうことだと考えました。AEDの使い方は講習会で学べます。その前段階としてAEDに対する意識を高めることが、私ができることと考えています」と、牛田さんは、まっすぐ前を見てお話しされます。
牛田さんは、講演会で必ず言うことがあります。 「講演会場の建物の中で、AEDがどこにあるかご存知ですか?」 「建物の入口にAEDのシールやマークがあります。あなたは、気にされていますか?」 このようなAEDに対する意識を高めていただくことこそが、牛田さんが具体的に変えていきたいことなのです。 「AEDを使う場面なんて、自分の周りには絶対に起こらないと思っていませんか?」と、 牛田さんは講演会で語り掛けます。 なにも症状がなかった牛田さんが、あの日経験されたことを知ったあとでしたら、「そんなことはない!」と答えが出てくるはずです。だからAEDマークやAED設置場所を常に意識して欲しい、そう牛田さんは訴え続けています。
牛田さんの誕生日は6月23日ですが、今はこの日にお祝いすることはないそうです。 「6月1日が私の誕生日です。この日は新しい誕生日であると同時に、私を救ってくれた皆様への感謝の気持ちと、あの時お父さんが死んでいたらどうなっていたんだろうと家族で振り返る日でもあります」と牛田さん。
牛田さんの生還10周年のバースデーケーキ(提供:牛田尊) 牛田さんが講演で『社会復帰』という言葉を使うと、当時の関係者の方から指摘が入るそうです。「牛田さん、社会復帰じゃなくて『完全社会復帰』。この『完全』をつけてくださいと言われます。それぐらい本当になんともありません。 そして、2025年が私の第2の成人式。いろいろとお世話になった皆様に、私からまた成人式を迎えましたとご挨拶をさせていただきたいと思っております」と、笑顔で話します。 当時、医師からは、最初はQOL(生活の質)が下がるかもしれないと伝えられましたが、「退院後は、それまで1日約50本吸っていたタバコも暴食もやめました。睡眠時間は多少増えた程度ですが、いまは楽しい毎日を過ごさせていただいております。 これもやはりAEDのおかげです。そしてAEDを使って迅速な処置をしていただいた学生さんのおかげ。なによりAEDの普及に尽力いただいた方々のおかげ、と、日ごろから感謝しております」と、完全社会復帰された牛田さんは笑顔で、力強く未来を見つめています。 いまでこそ街中で見かけるようになったAEDですが、皆様の近くのAEDがどこにあるか思い出せますか?心停止の約7割がご家庭で起こっているといわれています。特に、心臓に不安がある方、生活習慣病がある方は家庭用AEDの設置も検討してはいかがでしょうか。
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