慢性閉塞性肺疾患(COPD)の啓発や患者の支援など幅広い活動をするJ-BREATH(日本呼吸器障害者センター)。COPD患者の遠山雄二さんと妻の和子さんで立ち上げた患者団体です。COPDは喫煙を主な原因とする肺の慢性疾患で、世界の死亡原因の4位にのぼり、今後も増加が予想されます。雄二さんがCOPDと診断されたのは1999年。和子さんは当時をこう振り返ります。 「COPDは咳や痰が激しく出て、全身を締めつけられるような息苦しさを伴います。当時は医療者の間でも認知度が低く、主人がCOPDと診断された頃には、症状はかなり悪化していました。在宅酸素療法を始めると、症状はみるみるおさまりました。ただ、この病気は一生治ることはなく、24時間、在宅酸素療法を続けなければいけない。これは大変な病気だと呆然としました」 年齢や病気のステージを考慮して自ら決めた余命は10年。アメリカと日本を行き来しながら忙しく働いていた雄二さんは、療養のために引退を余儀なくされます。和子さんは夫婦二人三脚で精一杯生きていく覚悟を決めます。 「退院すると、酸素濃縮装置での在宅酸素療法が始まり、外出時は携帯用酸素ボンベを持ち歩く生活に。ところが外に出ると、まわりの人に奇異の目でジロジロ見られます。それが苦痛で、主人は無理して酸素ボンベを持たずに外出するようになっていました」 闊達で明るく、オープンな性格だった雄二さん。それでも、酸素ボンベを引いて歩かねばならないのは、心理的苦痛が大きかったようです。 「ある日、外出先で地下鉄のエスカレーターが止まって階段を利用しなければならなくなりました。主人の体ではとても上れない。主人は駅員さんにエスカレーターを動かすようにお願いしました。でも、駅員さんの目には健常な人と映ったようで『ご自分で上ってください』と言われたようです」 この出来事がきっかけで、雄二さんの病気への向き合い方が大きく変わります。 「COPDは世間の人に理解されていない。主人のように、人目を気にして酸素ボンベをあきらめる人もいれば、家に閉じこもってしまう人もいます。あるいは、自宅に人が来ると装置を押入れに隠すという人も。なかには、呼吸の苦しみと死への恐怖を一人で抱え、うつ状態になってしまう人もいます。 このままでは、患者さんの生きにくさはずっと変わらない。だったら、あなたは堂々と酸素ボンベを持ち歩いて、世の中の人に病気を理解してもらうために動いたら? それがこれからのあなたの仕事じゃないかなと主人に話をしたのです」 その第一歩として、雄二さんは酸素ボンベを携えて地下鉄の駅員室を訪ねて、自分の病気を説明し、また同じような病気の人が困っていたら、どうか手を貸してあげてほしいと話しました。根っからの仕事人間で、新しい挑戦をすることが好きだった雄二さん。残された時間をCOPDの啓発のために生かすことを心に決めたのです。
COPDが判明した当初から、雄二さんと和子さんは患者会に参加していましたが、2000年に2人で患者団体「J-BREATH」を立ち上げる決意をします。 「患者会は、年1回勉強会をする程度の内向きのものでした。でも、COPD患者が抱える生活上の悩みを考えると、外に向けて病気を理解してもらう啓発活動が必要ではないかと考えたのです。主人がよく言っていたのは『同情がほしいのではなく、ただ理解してもらいたいだけなのだ』ということでした」 COPD患者であっても、病気だから、装置をつけているからと特別視されることなく、社会の一員として、自分らしい人生を歩める世の中にしたいと雄二さんは考えたのです。 「呼吸器学会でCOPDの疾病理解の展示をしたり、8月1日を『肺の日』に制定する運動を起こしたり。孫と出かけたいけど、自分がいると孫がいじめられるのではと悩むCOPD患者さんの相談をきっかけに、映画『星になったおじいちゃん』を制作するなど、次々と啓発のプロジェクトを実行していきました」 つねに電話をかたわらに置き、アイデアが湧くと関係者にアポイントをとって、和子さんと全国どこへでも出かけていったという雄二さん。あるときは、酸素ボンベから鼻に送るチューブ(カニューラ)の改良を打診するために、メーカーとの直接交渉におよんだこともありました。当時のカニューラは鼻から外れやすく、見た目もいまいちで、COPD患者さんを悩ましていたのです。 「担当の方とお話しすると、患者の実状をほとんどご存じないのです。私たちが伝えると、『カニューラを改良しましょう!』と立ち上がってくださいました。ただ、会社の上層部がうんと言わない。そこで私たちが協力して開発を進め、納入先まで確保しました。その段階で上層部にかけ合い、ようやく改良されたカニューラが日の目を見たこともありました」 こうした活動成果から、J-BREATHは在宅酸素療法の医療機器の改良アドバイザーとして、患者さんと医療機器メーカーをつなぐ役割も果たすようになります。
たった2人で始めたJ-BREATHは、多くの患者やサポーターが集まり、啓発活動や情報提供、療養環境改善のための行政への働きかけ、認定看護師養成の支援、医療機器の改良提案など活動を大きく広げていきます。従来の患者会のあり方を超えた、患者やその家族、支援者が積極的に社会に働きかける新しい患者団体の始まりでした。活動が全国へと広がっていた2008年、雄二さんは生を全うして息を引き取ります。 「新たに与えられた自分の使命に向かって懸命に生きた10年間だったと思います。覚悟はしていましたが、あまりにいろんなことを経験した10年間で、先のことは何も考えられない状態でした。でも、主人を乗せた霊柩車の中で突然、私の携帯電話が鳴ったのです。病気に悩む患者さんからの相談の電話でした。これはもう主人から『頑張れよ』と言われているのかなと思いました」 現在、J-BREATHは和子さんが理事長となり、患者のQOL(生活の質)の向上を願う多くの支援者に支えられて運営されています。 「困っている患者さんがいる以上、その改善に向けて力になりたいという一心で続けています。呼吸苦と死への恐怖は、COPDの患者さんが抱える最大の悩みです。病院から在宅への切れ目ない療養環境、緩和ケアの充実など、課題はまだまだあります。また、世界中どこへでも行けるような、携帯電話のようにコンパクトな酸素濃縮装置の実現も私たちの目標です」 COPDにかぎらず病気の悩みや苦しみを抱えている人は少なくないと思いますが、長年多くのCOPD患者さんを支えてきた和子さんから伝えたいメッセージとは。 「未来に目標を置いて、長い道のりを病気とともに歩む勇気をもっていただけたらと思います。その際、主治医は大切なパートナーとなりますから、患者さんは遠慮なく主治医に思いをぶつけて、医療者はもっと励ましや元気づけの言葉をかけてあげてほしいと思います」 これからの医療は、病院だけではなく、在宅での療養や生活改善も重視されていきます。 「そのためには、患者自身さんがセルフケアの意識を高めることが不可欠です。自分の命を大切にしてあげられるのは自分自身です。賢い患者となり、自分の人生を充実させる勇気と希望をもつ。そうすれば、患者さん一人ひとりが素晴らしい人生を実現できる、私はそう信じています」(取材・文/麻生泰子)
<J-BREATHについて> 特定非営利活動法人 NPO J-BREATH(ジェイ・ブレス) 日本呼吸器障害者情報センター 当事者の目線で収集した情報を呼吸器障害者に提供し、共に考えその生活を支援していくことを目的とした団体です。また患者会として、啓発や要望を実現すべく国へ働きかけるなどの活動を行っています。
フィリップスが考える、健康な生活、予防、診断、治療、ホームケアの「一連のヘルスケアプロセス(Health Continuum)」において、皆様の日常生活に参考になる身近な情報をお届けします。一人ひとりの健康の意識を高め、より豊かなヘルスケアプロセスの実現を目指します。