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「すぐれた芸術は医療である」と語るのは、軽井沢病院副院長・稲葉俊郎先生。日本の伝統芸能に息づく医療的効用など、すぐれた芸術が「生きる力」を引き出すプロセスを語っていただきました。

日本の伝統芸能に息づく「医療的効用」とは?

東大病院で先端医療に携わったのち、伝統医療や代替医療などを修め、現在は軽井沢病院副院長を務める稲葉先生。伝統芸能や芸術、民俗学などへの造詣も深く、山形ビエンナーレ2020の芸術監督を務めるなど幅広く活躍しています。稲葉先生は「すぐれた芸術は医療である」と提唱します。芸術と医療――接点がない世界のように思えますが、どこに共通点があるのでしょうか?
 

「日本の歴史をさかのぼると、日本には古来より伝わる独自の医療がなく、中国医学、インド医学(アーユルヴェーダ)、西洋医学と、外から取り入れてきたように見えます。でも、本当にそうなのだろうかと、かねてから疑問を抱いていたのです。
 

芸術、東洋哲学などあらゆる領域を学び、私が日本の医療の原点を見出したのは伝統芸能でした。日本の伝統芸能には、姿勢から体の使い方、呼吸に至るまであらゆる所作に作法があります。この作法は、現代人からすると堅苦しく感じられるかもしれませんが、体の構造からすると、ひじょうに理にかなっています。正しくおこなうことで体は最適化されて、心身が調和した心身一如の境地に導かれることに気づいたのです」
 

能楽、狂言、歌舞伎、人形浄瑠璃、武道、華道、茶道、書道、工芸――日本のあらゆる伝統芸能や技能には、心と体を調和させて整えていく深遠な知恵が詰まっていると稲葉先生は指摘します。
 

「伝統芸能における体の使い方は、歳をとればとるほど研ぎ澄まされていきます。その人の年齢や体の状態に応じた調和を目指すことができるのです。それによって心身が整い、病気が治っていくこともあるでしょう。また、病気があったとしても、より良い共存・共生関係をつくることができるのです」
 

職業、芸術、健康が渾然一体として、一つの「道」となる――それこそが日本人が古来より実践してきた健康学だったのです。

死や病の苦悩を乗り超えた、その先に見える世界

稲葉先生が、伝統芸能のもつ医療の力をあらためて強く体感したのは、東日本大震災後だったといいます。被災地に医療ボランティアに入り、数多くの亡くなった方のご遺体に対面し、医者として何もできない無力感にさいなまれていたとき、能の世界にふれたのです。
 

「世阿弥が完成した能は〈複式夢幻能〉といって、死者と生者の世界が交錯する世界です。主人公が夢うつつの中で、死者の世界に入り込み、死者の語りや舞に触れて、また現実に世界に戻ってくる。そのとき、主人公は、もう以前の自分ではない。なにがしかの気づきや変化がもたらされているのです。
 

能と同じような作用をもたらすことがあるのが、病気です。病気になると、見える世界ががらりと変わる。そして病気が治ったときは、新たな視点や意識を持った自分になっていることがあります。私たちが生きる現代社会は、死や病は忌み嫌われて『生の世界』ばかりが際立っています。しかし、時に死の世界から眺めることで、生が輝きを増し、自分たちがどう生きていければいいかを教えてくれることがあるのです」
 

医者として無力感にとらわれていた稲葉先生にとって、能は生きる自分たちがどう生きればいいのか、死や苦しみにどう向き合っていけばいいかを教えてくれました。ならば、自分は医療を通じてそれを人々に伝えていくことが使命だと感じるようになったのです。

すぐれた芸術は「生きる力」を高めてくれる

「すぐれた芸術は医療である」――そう語る稲葉先生は、芸術の医療的効能は大きく二つあるといいます。
 

「穏やかな美が描かれる印象画や水墨画のような芸術は、見る人の心を浄化して、心地よい境地へと導いてくれる作用があります。一方で、岡本太郎や横尾忠則のような、おどろおどろしい毒を含んだ世界を描いた芸術もある。これらは自分を日常世界から引き剥がして、異次元の世界へと連れていく力があります。
 

芸術が私たちの心に起こす作用は、大きな青い海を見たとき、自分の悩みがちっぽけに思えて、気持ちが晴れてくるのとよく似ています。体が不自由だったり、病気があったり、私たちは生きていくうえでさまざまな悩みに直面します。その悩みに支配されると、生きる力や希望を見失ってしまうこともある。
 

でも、それが『小さな悩みだ』と思うことができたとき、その人は生きる強い力を取り戻すことができます。そうなれば、自分なりに工夫して乗り越える知恵や勇気、自ら治していく力が湧いてくる。その一連の作用は現代医学では実現できないものであり、芸術がもっている医療的効用なのです」

「治る」力を最大限引き出す医療へ

芸術にふれることで生きる力が高まる――いわば「自己治療」ともいえる境地ですが、稲葉先生は誰しも無意識に「自己治療」をおこなっていると話します。
 

「たとえば、怒りっぽい人っているでしょう。僕に言わせると、あれも自己治療の一環です。モヤモヤした不安や恐怖を大きな声で怒鳴ったり、その場を支配することで解消する。でも、周囲の人は苦しいし、本人の不安や恐怖が消えるのはほんの一瞬で、いいことは一つもない自己治療の悪い例です。『わたしはもうダメだ、不幸だ』と悲観的な人も同じ。自己憐憫から一種のカタルシスを得ているのです。
 

    誤った自己治療のループに陥っていれば、それをもっと創造的な治療に切り替えていくのが僕の役割です。たとえば、よく怒る人は、声楽や能で大きな声を出して思いっきり発散してもらうのもいいかもしれません。本人に合わせた“自己治療の処方箋”を提案していくのです」
 

実際に臨床の場でも、不眠症に悩む認知症患者さんに、ご本人が得意だった「習字」を治療の一環として提案するなど、芸術による自己治療をすすめることがあるといいます。
 

「『治す』という考え方と、『治る』という考え方があります。西洋医学は『治す』ことに主眼を置いていますが、体には自然治癒力が備わっていて勝手に『治る』ことができます。
 

では、どうやって『治る』力は引き出されるのか。たとえば、深い森に入ると深呼吸になる、筆を持つとおだやかな気持ちになる、好きな人に会うと元気が出る――こうした身体感覚は、治るプロセスを駆動させる力がある。自分が好きな分野の芸術や文化、自然にふれることは、治るプロセスが起こりやすい条件を提供してくれると私は考えるのです」
 

自分の好きなことに没頭することも、「治る」力につながっていく。そうだとしたら、治療の場とは、病院ばかりでなく、私たちの生活の中にもふんだんに溢れているのかもしれません。
 

医療の場は、病院だけではない。自分の住む家から街、自然や公園、文化施設にいたるまで――健康づくりの場を生活中心に広げていくのは、フィリップスの目指すHealth Continuumというヘルスケアプロセスにも重なります。高度先端医療が発達する一方で、「いかに病気を予防していくか」「いかに病気と共存して幸せに生きるか」は、これから私たちが向き合うべき大切な課題なのです。(取材・文/麻生泰子)
 

稲葉俊郎 いなば としろう

医学博士。東京大学医学部付属病院循環器内科助教を経て、現在、軽井沢病院副院長を務める。西洋医学に止まらず、伝統医療、代替医療、民間医療も広く修める。未来の医療と社会の創発のため、伝統芸能、芸術、民俗学、農業など、あらゆる分野との接点を探る。
 

稲葉俊郎先生インタビュー1「私たちは健康になれる力を持っている。自分だけの「健康学」を打ち立てよう」はこちら

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