愛知県名古屋市を本拠地とするJ1所属のサッカークラブチーム「名古屋グランパス」では、2017年から中部大学と〈Heart safe stadium〉運営に取り組んでいます。Heart safe stadiumとは、AEDの適正配置や救護体制を整備することで、スタジアムに来場する観客に安心・安全を提供する取り組みです。
名古屋グランパスのホームゲームが開催される豊田スタジアムで、観客席を見守るのは中部大学生命科学部スポーツ保健医療学科で救急救命士を目指す学生ボランティアの救護チーム。指導教員や救急救命士が待機する救護ステーションを設置し、AEDリュックを背負った学生たちが観客席を巡回します。指導や支援にあたるのは、同大学の北辻耕司先生を中心に、野村佳久先生、伊藤基樹先生の3名で、それぞれ救急救命士として活躍した経験があります。さらに、愛知医科大学病院の加納秀記救急診療部教授も加わり、万全の救護体制を整えています。
――2017年2月からスタートしたHeart safe stadiumに、北辻先生が取り組まれたきっかけは?
北辻 2011年に心筋梗塞でピッチで倒れた元日本代表の松田直樹選手をはじめ、ヨーロッパのチームでも試合や練習中にサッカー選手が突然の心臓疾患で倒れる事態がたびたび起こっています。そのため、Jリーグでは、スタジアムや練習場のAED適正配置や年1回の職員の救命講習会、全選手の定期的な心電図検査・心エコー検査などの安全管理体制づくりに力を入れてきました。
一方で、スタジアムの観客席エリアまでは、十分な安全管理が行き届かないのが現状でした。もちろん、AEDを配置する対策は講じられていますが、人口密度が高く、多くの人が場所に不案内というスタジアムの特性上、観客がAEDを探したり、緊急事態を伝達するのに時間がかかる現実があります。私たちが救護チームを発足させる直前、ドイツのクラブチームで観戦中のサポーターが心臓発作で亡くなるなど事件も起き、スタジアムの観客の安全対策が取り沙汰されていました。救急救命士を養成する本学としてできることがあるはずだと、Philipsと共に、地元クラブチームでつながりの深い名古屋グランパスに働きかけたのです。
野村 アメリカなどでは、マスギャザリング(特定の目的で集まる大勢の集団)の医療対策が進んでおり、スタジアムでは観客席を救護スタッフが巡回する安全管理体制ができています。日本では、まだ対策や体制が普及に至っていない現状があります。
北辻 名古屋グランパスは、選手の健康管理を重要視し、国内では先進的にチームドクターや専任の管理栄養士などのヘルスサポート体制に力を入れてきたクラブチームです。私たちが提案した観客の安全・安心を守る救護チーム体制づくりに「ぜひやりましょう!」と動き出してくれたのです。
伊藤 本学のスポーツ保健医療学科では、春日井市消防本部で救急救命の実務経験を積んだ職員が学生指導にあたっています。名古屋グランパスと中部大学が連携するHeart safe stadiumは、地域でクラブチームを支えていく取り組みなのです。
――約4万人を収容する豊田スタジアムで、学生たちはどのように観客の安全を守っているのでしょうか?
野村 開場前からスタジアム外を学生ボランティアが巡回することから始まります。試合開始前の入場に際して長蛇の列ができるリスクが高まることから、入口付近や広場なども巡回します。試合が始まると、観客席エリアに定点配備となり、担当エリアの巡回も行います。緊急事態が生じたとき、すぐに駆けつけて3〜5分以内にAED装着ができる範囲を1エリアとしています。
伊藤 具体的には、観客席を座標軸で分けて、1エリアごとに1学生が担当します。観客が倒れたときは、エリアを担当する学生が応急処置や状況確認などファーストタッチを行います。同時に無線で全メンバーに連絡して、周辺エリアの学生や救護ステーションの教員や医療従事者が駆けつけます。救護チームでは10名の学生が参加して観客席エリアを守ってきましたが、2023年夏から15名に増やして、3分以内のAED装着につなげる巡回体制を整えました。
――実際、これまで観客席ではどんな緊急事態が生じてきたのでしょうか?
北辻 夏の暑い時期は、試合開始の4時間前からスタジアム場外でのイベントを楽しみに数万名の方々が来場されるので、熱中症が急増し1試合で20回近くの救急要請が生じることもあります。このほか、小さなお子さんの転倒、飲酒による体調不良など観客席では日々いろんな緊急事態が起きています。以前、応援団近くでサポーターの方が倒れられたことがありました。声援が鳴り響く中で、われわれが救急処置にあたったのですが、メンバー同士の声が通らず、混み合う観客席を搬送するのは大変な作業でした。
野村 担架や人が通れるスペースも狭く、騒然としたスタジアムでの救護活動は、観客の方々の協力が欠かせません。2023年6月、名古屋グランパス対アビスパ福岡戦で、ホームスタンドの観客が倒れる事態が発生しました。異変に気づいた主審がホイッスルを鳴らして試合を中断し、我々救護チームと、その時救護活動に参加いただいていた愛知医科大学の加納先生も駆けつけ、さらに名古屋グランパスのチームドクターが柵を乗り越えて応急処置にあたりました。皆さんの協力のもと迅速に搬送することができて、観客席から拍手が沸き起こったのが、我々もとても印象的でした。
伊藤 主催者側や周囲の観客も、試合に集中していますから、なかなか気づかないことがあります。今回は主審が気づき、試合中断の判断を下してくれたことでスムーズに救護ができました。
北辻 倒れた方も無事に回復されたようで、救護チーム全員が安心しました。誰かの命を守るのは、救護チームや救急救命士だけでなく、まわりの方がいかに協力してくれるかにもかかっています。私たち救護チームがスタジアムを巡回することで、観客への皆さんへの注意喚起や意識形成にもつながればと思います。
▲左から中部大学北辻耕司先生、野村佳久先生、伊藤基樹先生
――救護チームで活躍するのは、どのような学生たちなのでしょうか? サッカーを愛するすべての人のために――名古屋グランパスは中部大学とPhilipsと協力して、スタジアムの安全管理体制を徹底追求し、Heart safe stadiumの実現・運用に取り組んでいます。名古屋グランパス対アビスパ福岡戦で見られた迅速な救助活動は、日頃の学生ボランティアの頑張りがサポーターの皆さんにも伝わり、助け合いの大切さが認識された結果でもあるかもしれません。中部大学救護チームのような活動が、サッカースタジアムに留まらず、合宿時やサッカー教室など心臓突然死のリスクがある場所に広がっていくことを願ってやみません。(取材・文/麻生泰子) 森下龍矢選手:中部大学救護チームの方々は、とても心強い存在です。名古屋グランパスは観客の皆さんの安全体制に力を入れていますので、安心して応援に来てください!
北辻 救急救命士を志す学生たちで、最近では女子学生も増えています。志す理由は、東日本大震災などの報道で救命士の活躍を知ったり、家族や自分が倒れたときに助けられた経験などそれぞれですが、「人を助けたい」という思いは、人一倍強い学生たちだと思います。
ただ、「思い」だけでは、救急救命のプロになることはできません。加えて、知識や経験が不可欠です。私たち教員は知識を伝えることはできますが、現場の実際を伝えられる機会はとても貴重です。もちろん、消防署や病院での実務研修はありますが、ここでは見て学ぶことがメインです。豊田スタジアムでの救護活動では、自分で考えて主体的に行動し、他者と協力していくことを実体験から学ぶことができます。現場を経験すると、自分が今、大学で学んでいることの意義をあらためて理解できるほか、何を優先すべきかを体で覚えていくことができます。豊田スタジアムで救護活動に参加することは、観客の方々の命を守るだけでなく、学生自身の成長にもつながっているのです。
――心臓突然死は、健康な人でも起こりうる急性疾患といわれます。自分や大切な人の命を守るために、私たち自身ができることはありますか?
伊藤 私は救急救命士として現役ですが、この仕事をしていると、普段の生活でも、建物に入るとAEDの場所を確認したり、消防設備の点検などを無意識に行ってしまいますね。緊急事態が起きたときに、自分はどう動くか、何ができるかを日頃からシュミレーションしておくことで、冷静で適切な行動をとれる可能性が高まります。自分自身や大切な人を守るために、すべての人に考えてほしいことですね。
野村 人が突然倒れた場に居合わせた人は、「AEDを使うのが怖い」と考えるかもしれません。ショックボタンを押していいのかどうかはAEDが正しく判断してくれるので、とにかくAEDを持ってきて、倒れた人の胸にパットを装着することを優先していただきたいですね。AEDは一般人が使用することを想定した医療機器となっており、どの方にも安心してお使いいただけます。
伊藤 119番通報、胸骨圧迫、AED――この3つのアクションが必須となります。各地の消防署で定期的に開催している救命講習に行くのがおすすめですが、今はインターネットでも視聴できるので、ぜひ定期的におさらいしていただきたいと思います。
北辻 私は中部大学のサッカー部で総監督も兼任しているのですが、学生の健康管理には日頃からかなり気を使っています。睡眠不足や食事抜きなどで激しい運動をすれば、当然心臓への負担は大きくなります。練習や試合時のAED携行やAED設置場所の確認はもちろん、その日の体調、天候、環境を見ながら適切な練習量にコントロールすることは、指導者やプレーヤーに心がけてほしいことです。
救急救命が必要な事態が起こらないよう、日頃から予防に努めたうえで、それでも防げないケースは、AEDや救護チームといった安全管理体制でしっかりカバーしていく。二重の備えで対応すれば、助かるはずの命が失われる事態は確実に減らしていけると私は考えています。
【名古屋グランパスからのメッセージ】
藤井陽也選手:名古屋グランパスでずっとプレイしてきて、グランパスファミリーの皆さんに育ててもらったという思いがあります。J1優勝と安心・安全なスタジアム運営で、グランパスファミリーの皆さんに恩返ししたいと思います。
藤田健人アスレティックトレーナー:練習や試合のみならず、移動中やホテルでも必ずAEDを持ち歩いています。選手や観客の皆さんの命を守るために、私たち名古屋グランパスはベストを尽くします!
▲右から藤井陽也選手、森下龍矢選手、藤田健人アスレティックトレーナー 【AEDについて】AEDは救命処置のための医療機器です。いつでも使用できるように日頃の点検が重要です。添付文書を必ずお読みいただき、不測事態・譲渡・廃棄時には製造販売業者又は販売業者等へ速やかに連絡をお願いいたします。
フィリップスはヘルステクノロジーのリーディングカンパニーとして、革新的な技術を通じ、人々のより良い健康と満ち足りた生活の実現を目指しています。 つなぐヘルスケアでは、一人ひとりの健康の意識を高め、より豊かなヘルスケア生活につながる身近な情報をお届けします。