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4年ぶりとなった東京の国際マラソン大会。COPD(慢性閉塞性肺疾患)という疾患を抱えながら、3万8420人のランナーの1人として見事に完走を果たしたオーストラリア人アスリートの挑戦に迫ります。

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病気を受け入れたとき、私の挑戦が始まった

 

2023年3月5日、4年ぶりにコロナ禍前と同じ規模で開催された東京の国際マラソン大会。参加したオーストラリア在住のラッセル・ウィンウッド(56歳)さんはCOPDアスリート。COPD(慢性閉塞性肺疾患)という重い病気を抱えながら、ワールドマラソンメジャーズ(世界6大マラソン大会)に数えられるニューヨークマラソン、ボストンマラソンなどに挑戦しつづけ、東京は5つ目の挑戦となります。


COPDとは、肺胞が破壊されて肺の機能が徐々に失われ、呼吸が困難になっていく病気です。喫煙を主な原因とする肺の慢性疾患で、悪化すると酸素ボンベから酸素供給を行う在宅酸素療法が必要となります。低酸素状態が長期間続くと心不全のリスクも高まり、世界の死亡原因3位となっています*1。


ラッセルさんは2011年、45歳のときにCOPDと宣告されました。診断は、肺活量が22%しか残されておらず、ステージⅣという最も深刻な病状。安静にしていても息苦しく、少し動いただけで呼吸が困難になるような状況でした。ステージⅣでは日常生活が送れなくなる患者さんもいる中、ラッセルさんは宣告から12年を経た今も、健康的な生活を送り、過酷なマラソンにチャレンジしつづけています。奇跡的ともいえるラッセルさんのCOPDアスリートとしての活躍は、どのようにして始まったのでしょうか。


「医師の宣告を受けたときは、目の前が真っ暗になりました。COPDという病気も知らなかったし、自分には受け入れられないと感じました。病気について調べて、妻とこれからの人生について話し合いました。やがて病気を受け入れることができたとき、私はこれからの人生は挑戦だと前を向いたのです。肺の機能をどうにか向上させて、自分の人生をより良いものにしていく『チャレンジが始まった』と。


そして、呼吸内科医に『トライアスロンをやりたい』と宣言しました。あまりに大胆な目標に医師は笑って無理だと答えました。しかし、私が本気だと気づくと、『私にできることはすべて協力しよう』と私に合わせたトレーニングプログラムに協力してくれることになったのです」

ラッセル・ウィンウッドさん

ひたむきな努力がもたらした肺機能の向上

 

ラッセルさんは、子どもの頃は喘息を患っていたものの活発で、20〜30代は喫煙習慣も長く、肥満気味で不摂生な生活を送っていたといいます。36歳の若さで脳梗塞を発症してからは、生活を改めてサイクリングやトライアスロンに挑戦するようになっていました。COPDを発症してからは、以前のように動けなくなってしまいましたが、自分に前向きな力を与えてくれた運動をまた始めることを決めました。


「激しい運動ができない体になっていたので、心拍数などをモニタリングしながら、短いランニングからスタートしました。医師が決めた許容量まで体を動かし、体を休める。次はまた少し限界を上げて体を鍛え、休む。その小さなステップの繰り返しでした。


体を動かせば、当然呼吸は苦しくなります。でも、私たちの体は、おのずと呼吸をするようにできています。今、苦しかったら、次はもっと息を吸い込もうと努力する。その力を信じて、少しずつ自分のキャパシティを広げていったのです。今では1日4〜5時間トレーニングする日もあります。体調によっては30〜40分の日も。自分の体の声に聞きながら、1週間のうち4、5日はトレーニングしています。休日も設けていますが、ウォーキングしたりして毎日なにかしら体を動かしていますね」


自分の身体と対話しながらトレーニングを積み重ねた結果、ラッセルさんの体に変化が起こります。22%だった肺活量が32〜33%まで回復し、ステージⅣからステージⅢに改善されるという非常に稀な診断が下されたのです。そこに至るまでラッセルさんが取り組んだことはどんなことだったのでしょうか。


「まずは運動、そして、処方された薬を正しく服用すること。さらに食事(栄養)が私の大きな力となりました。運動である程度まで肺の機能を引き上げることができましたが、さらに上を目指すには食事だと考えました。私の場合、加工された炭水化物をできるだけ排除し、脂肪分をしっかり摂り、タンパク質をほどよくとるというケトンダイエットを参考にしました」


COPDで一度失われた肺の機能は回復しません。ラッセルさんの方法がかならずしもすべての人に当てはまるわけでありませんが、自分に合った療養を科学的に追求し、医師の指導に従いながら地道なトレーニングを続けたことで、残された肺の機能を活かすことができたのかもしれません。

COPDアスリートとして活躍

走りつづけることで、自分と世界を変えていく

 

ワールドマラソンメジャーズ制覇を目指し、世界の国際マラソン大会を連戦してきたラッセルさんですが、2020年から始まった新型コロナ感染症拡大で、その挑戦は中断されます。


「2020年の東京でのマラソンに参加できなくなったときは、とても辛く苦しかったです。私は『絶対に東京を走る』と心に決めてトレーニングしてきたのですから。今回3年越しでようやく目標を果たせ、無事完走できた喜びを噛みしめています。東京の街を走って、応援してくれる人々のあたたかさやサポートをとても身近に感じることができました。


2019年のボストンマラソンでレース中に呼吸困難になったことから、東京ではポータブル酸素濃縮装置を背負っての挑戦となりました。途中でバッテリー交換が3回必要だったのですが、コースで待ってくれていたフィリップス社員のボランティアのサポートがとても心強かった。彼らがいなければ完走は不可能だったと思います」


ラッセルさんのポータブル酸素濃縮装置は、軽量で専用リュックに入れてスマートに携帯することができます。酸素濃縮装置を背負って、はじめて走ったときはどう感じましたか?


「深く呼吸ができる素晴らしさを全身で味わいました。いまや私にとっての大切なライフセーバーです。酸素濃縮装置をつけているときは、鼻にカニューラという挿入管をつけるのですが、いろんな人に話しかけられるようになりました。


会場では『それは水を飲むものなの?』と聞かれましたね(笑)。『これは酸素を吸うために必要なのです』と説明をしました。興味を持って聞いていただけるのは、とてもうれしいことなのです。COPDの患者さんには、酸素濃縮装置やカニューラを身につけることが恥ずかしくて外出できないと悩む方が多いから。世の中の人たちがCOPDを理解して、街に酸素濃縮装置やカニューラをつけている人がいることが当たり前になる――私が走ることで、そんな社会をつくることに役立てればと思っています」


ラッセルさんの次なる目標は、2024年のベルリンマラソンを完走すること。これによってCOPDアスリートとして、ワールド・マラソン・メジャーズを制覇することになります。


「国際マラソンの中でもベルリンは、最も制限時間が短く、大変な挑戦になります。もちろん完走するのが目標ですが、それよりも大切なのは、走ること、挑戦することを通して、私自身の人生そのもの、生活が向上していくことだと思っています。


そして、日本をはじめ世界中のCOPDの仲間に希望を与えて、『体を動かそう』『外に出よう』と前向きな行動を起こすきっかけになってくれればと願います。病気になっても、あなたの人生をあきらめる必要はありません。A pot of gold at the end of the rainbow(到達できた先には喜びが待っている)と信じて、今日の自分のベストを尽くしていきましょう」(取材・文/麻生泰子)

 

*1 Global Health Estimates 2016: Deaths by Cause, Ages, Sex, by Country and by Region, 2000-2016. Geneva, World Health Organization; 2018.

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